届いたギターのネックブロックには、D-28と刻印されています。シリアルナンバーから、やはり1983年製のマーティン D-28 に間違いありません。
ところで、この1983年には、150周年記念にバックとサイドにハカランダを用いた D-28 も存在しているようです。このギターはどうなんでしょう?
専門家でないと判断できませんが、もしハカランダなら大変なことです・・・。ワシントン条約で保護されている文化資産の破壊につながりかねません(ちょっと大げさ?)。
出品者さんに連絡してみると、発送時点では壊れていなかったという話です。運送会社に連絡をとるので、写真を送ってほしいということになりました。そこで撮った画像が右と下のもの。
トップが激しく割れております。
この位置は、演奏時に右腕が当たる部分なので、かなり深刻です。
バックのサイド付近がめくれ上がっています。固い素材のローズウッドが、どうしたらこんな状態になってしまうのか?
その下のサイド部分にも2箇所、大きな亀裂が入っています。木目に沿って縦にそれぞれ15cm、25cmほどの割れが確認できます。
トップの反対側にもバインディングに沿って大きな割れがありました。
わたしも数々のギターを見てきましたが、これほど損傷の激しいギターははじめてです。このギターをつくった職人が見たらどんな気持ちになるのでしょうか・・・。
ちなみに、このギターが製造された1983年頃のマーティン社は、製造部門で大胆なリストラが行われており、結果としてベテランの職人たちがギターをつくっていたので、クォリティは高いようです。
2014年7月5日土曜日
マーティンD-28(1983年製)リペア記 その1
オークションでマーティンのギターを見つけたのですが、形式も製造番号の表記もなく、変わったカテゴリーに出品されてます。
ボディ サイドは良質なローズウッド、サウンドホール内部には、マーティン社の焼き印があるものの、あまり見かけないマーク。これは、もしかして・・・!?
いろいろと調べてみると、そのマークはマーティン創立150周年記念の焼き印であることがわかりました。となると、1983年製のギターということになります。トップに2箇所、クラックが入っているけど、修復可能な範囲です。というわけで、予算内で入札してみると、値段は吊り上がることもなく、あっさり落札できました!
ケースがないとのことで、直接引き取りに行きたかったのですが、少し遠かったので宅急便で送ってもらうことに。
数日後、エアキャップと段ボールで梱包された状態で届きましたが、中身を開けてみると、何と!!!ギターが大破損しているではありませんか!? どうしたらこんなにひどく壊れてしまうのでしょう?
ちょうど2歳の息子の誕生日に届いたギターで記念の日になるはずが、とんだ事態になってしまいました。久々にショックを味わいました(泣)
ボディ サイドは良質なローズウッド、サウンドホール内部には、マーティン社の焼き印があるものの、あまり見かけないマーク。これは、もしかして・・・!?
いろいろと調べてみると、そのマークはマーティン創立150周年記念の焼き印であることがわかりました。となると、1983年製のギターということになります。トップに2箇所、クラックが入っているけど、修復可能な範囲です。というわけで、予算内で入札してみると、値段は吊り上がることもなく、あっさり落札できました!
数日後、エアキャップと段ボールで梱包された状態で届きましたが、中身を開けてみると、何と!!!ギターが大破損しているではありませんか!? どうしたらこんなにひどく壊れてしまうのでしょう?
ちょうど2歳の息子の誕生日に届いたギターで記念の日になるはずが、とんだ事態になってしまいました。久々にショックを味わいました(泣)
2013年11月30日土曜日
ポール・マッカートニー 東京ドーム 2013年11月19日(火)
ポール・マッカートニーの4回目となる来日公演に行ってきました。ポールのライブに行くのは、東京ドームで行われた1990年3月の初来日公演以来2回目で、23年ぶりのこと。
ポールは、1993年と2002年にも来日してますが、特に2002年のライブは、同じツアーのライブDVD「バック・イン・ザ・U.S.-ライブ2002」を見て、そのパフォーマンスの素晴らしさに、行かなかったことを後悔したものでした。
今回2013年の来日ツアーも、2002年の時と同じバンドメンバーというのを知り、今度こそ行きたいという願望がかなって、なんとかチケットを手に入れることができました。
ライブが始まると、1曲目「Eight Days a Week」から観客は総立ちとなり、ニューアルバムからの2曲目「Save Us」の反応もグッド。「All My Loving」では、最初から最後まで一緒に歌ってしまい、「Jet」「Let Me Roll It」では、懐かしさに鳥肌が・・。
2013年11月19日(火)東京ドーム
1. Eight Days a Week
2. Save Us
3. All My Loving
4. Jet
5. Let Me Roll It
ようやく冷静にステージを見れるようになったのは、ビートルズの日本公演でも演奏された「Paperback Writer」あたりから。若干、テンポが遅い感じではありましたが、演奏は地についてる感じです。
6. Paperback Writer
7. My Valentine
8. 1985
9. The Long and Winding Road
10. Maybe I'm Amazed
「バック・イン・ザ・U.S.-ライブ2002」のDVDでは、サプライズでスタッフがハートマークをかざしたため、涙ぐんで歌えなかった「The Long and Winding Road」が9曲目で早くも登場。ウィングス時代の名曲「Maybe I'm Amazed」では、エイブ・ラボリエル.JRの迫力あるドラムが響きわたります。
11. Things We Said Today
12. We Can Work It Out
13. Another Day
14. And I Love Her
15. Blackbird
16. Here Today
渋い選曲が続くなか、「And I Love Her」が聴けたのはうれしかったです。この曲は、中学時代にはじめて演奏した思い出の曲。そして、ポール一人になってのギター弾き語りで「Blackbird」。舞台セットの演出も凝っていて、思い入れが伝わってきました。
17. New
18. Queenie Eye
19. Lady Madonna
20. All Together Now
21. Lovely Rita
22. Everybody Out There
コンサートの中盤には、ワールドツアーで初めて披露したという、ニューアルバムから「New」「Queenie Eye」「Everybody Out There」の3曲を演奏。事前にCDを聴いて予習していたこともあって、3曲とも楽しめました(このアルバム、粒ぞろいの曲ばかりの久しぶりの快作です)。
23. Eleanor Rigby
24. Being for the Benefit of Mr. Kite!
25. Something
26. Ob-La-Di, Ob-La-Da
「Eleanor Rigby」 は、決してライブ向きではない曲ですが、このバンドメンバーではお馴染みの演奏。ジョンが歌っていた「Being for the Benefit of Mr. Kite!」では、ポールが楽しそうに歌っていたのが印象的でした。
27. Band on the Run
28. Back in the U.S.S.R.
29. Let It Be
30. Live and Let Die
31. Hey Jude
そして、ウィングス時代の名曲「Band on the Run」のイントロが始まると心が躍りました。ビートルズ時代は子どもだった自分にとって、ウィングスの曲はリアルタイムで接していたので体が自然に反応してしまうのかも。
32. Day Tripper
33. Hi, Hi, Hi
34. I Saw Her Standing There
最初のアンコールでは、ノリの良いロックンロールを3曲。それにしても、71歳で「I Saw Her Standing There」を歌い切るのだから、ポールは並みの人間ではない。演奏後に、長年愛用していたヘフナーベースを会場に投げ込むふりをして客のどよめきを誘ってました。
35. Yesterday
36. Helter Skelter
37. Golden Slumbers
38. Carry That Weight
39. The End
2回めのアンコールは「Yesterday」で始まり、一転してハードな「Helter Skelter」へと続き、1990年の来日公演でも演奏された「Golden Slumbers ~ Carry That Weight ~ The End」で終わるという構成。セットリストを見ると、名曲が何気なく並んでいるように思うけど、観客を飽きさせない工夫が凝らされているに違いない。本当に、あっという間の2時間45分でした。
ポールは、1993年と2002年にも来日してますが、特に2002年のライブは、同じツアーのライブDVD「バック・イン・ザ・U.S.-ライブ2002」を見て、そのパフォーマンスの素晴らしさに、行かなかったことを後悔したものでした。
今回2013年の来日ツアーも、2002年の時と同じバンドメンバーというのを知り、今度こそ行きたいという願望がかなって、なんとかチケットを手に入れることができました。
ライブが始まると、1曲目「Eight Days a Week」から観客は総立ちとなり、ニューアルバムからの2曲目「Save Us」の反応もグッド。「All My Loving」では、最初から最後まで一緒に歌ってしまい、「Jet」「Let Me Roll It」では、懐かしさに鳥肌が・・。
2013年11月19日(火)東京ドーム
1. Eight Days a Week
2. Save Us
3. All My Loving
4. Jet
5. Let Me Roll It
ようやく冷静にステージを見れるようになったのは、ビートルズの日本公演でも演奏された「Paperback Writer」あたりから。若干、テンポが遅い感じではありましたが、演奏は地についてる感じです。
6. Paperback Writer
7. My Valentine
8. 1985
9. The Long and Winding Road
10. Maybe I'm Amazed
「バック・イン・ザ・U.S.-ライブ2002」のDVDでは、サプライズでスタッフがハートマークをかざしたため、涙ぐんで歌えなかった「The Long and Winding Road」が9曲目で早くも登場。ウィングス時代の名曲「Maybe I'm Amazed」では、エイブ・ラボリエル.JRの迫力あるドラムが響きわたります。
11. Things We Said Today
12. We Can Work It Out
13. Another Day
14. And I Love Her
15. Blackbird
16. Here Today
渋い選曲が続くなか、「And I Love Her」が聴けたのはうれしかったです。この曲は、中学時代にはじめて演奏した思い出の曲。そして、ポール一人になってのギター弾き語りで「Blackbird」。舞台セットの演出も凝っていて、思い入れが伝わってきました。
17. New
18. Queenie Eye
19. Lady Madonna
20. All Together Now
21. Lovely Rita
22. Everybody Out There
コンサートの中盤には、ワールドツアーで初めて披露したという、ニューアルバムから「New」「Queenie Eye」「Everybody Out There」の3曲を演奏。事前にCDを聴いて予習していたこともあって、3曲とも楽しめました(このアルバム、粒ぞろいの曲ばかりの久しぶりの快作です)。
23. Eleanor Rigby
24. Being for the Benefit of Mr. Kite!
25. Something
26. Ob-La-Di, Ob-La-Da
「Eleanor Rigby」 は、決してライブ向きではない曲ですが、このバンドメンバーではお馴染みの演奏。ジョンが歌っていた「Being for the Benefit of Mr. Kite!」では、ポールが楽しそうに歌っていたのが印象的でした。
27. Band on the Run
28. Back in the U.S.S.R.
29. Let It Be
30. Live and Let Die
31. Hey Jude
そして、ウィングス時代の名曲「Band on the Run」のイントロが始まると心が躍りました。ビートルズ時代は子どもだった自分にとって、ウィングスの曲はリアルタイムで接していたので体が自然に反応してしまうのかも。
32. Day Tripper
33. Hi, Hi, Hi
34. I Saw Her Standing There
最初のアンコールでは、ノリの良いロックンロールを3曲。それにしても、71歳で「I Saw Her Standing There」を歌い切るのだから、ポールは並みの人間ではない。演奏後に、長年愛用していたヘフナーベースを会場に投げ込むふりをして客のどよめきを誘ってました。
35. Yesterday
36. Helter Skelter
37. Golden Slumbers
38. Carry That Weight
39. The End
2回めのアンコールは「Yesterday」で始まり、一転してハードな「Helter Skelter」へと続き、1990年の来日公演でも演奏された「Golden Slumbers ~ Carry That Weight ~ The End」で終わるという構成。セットリストを見ると、名曲が何気なく並んでいるように思うけど、観客を飽きさせない工夫が凝らされているに違いない。本当に、あっという間の2時間45分でした。
2012年6月22日金曜日
ポスト・イメージ論 〜世界視線をめぐる諸相〜
ポストモダンという言葉が、何の疑いもなくもてはやされ、今思えば何でもありという時代感覚そのものであった1980年代後半のこと。仕事を終えて仲間たちと飲んでいる場でよく繰り広げられていた、いささか青臭い議論=テーマがあった。
現在のように、不況、震災、原発事故といった社会不安のない時代である。当時、我々のいた広告業界では、経済やマーケティング分野よりも、現代思想や哲学の本をまずは読むべしという風潮があった。そうでなくとも、本棚のなかにある村上龍のとなりには中沢新一、山田詠美のとなりには上野千鶴子の本を並べておこうという、同時代的な感覚があったと思う。
バブル景気のこの時代、アウトドア派は外車や高級車に乗って郊外へと出かけ、インドア派はカウチに座ってポテトチップスを食べながら、読書や映画鑑賞するのが流行りだった。デスクトップにはパソコンよりもワープロがまだ主流の頃である。
そんな時代に入っても、戦後の思想界をリードしてきた全共闘世代のカリスマ、吉本隆明は強い影響力を持っていた。バブル時代の申し子だった村上龍や坂本龍一と交流があったのも大きかったかもしれない。
当時、ニュー・アカデミズムと呼ばれていたポスト構造主義側の学者や文化人たちは、戦後の日本が果たしてきた経済発展をこれから担うものは、ディコンストラクション=脱構築から生まれると信じてやまなかった。
この時期に吉本隆明は、自著の『ハイ・イメージ論』のなかで「世界視線」という新しい視覚イメージについて論じている。世界視線とは、地上や地形を俯瞰して眺めている、1.臨死状態からの視線であり、2.ランドサット(衛星)からの視線であり、3.コンピュータ・グラフィックスによる過視的な視線を指していた。
それらはあくまで人間(脳)もしくは人工的な視覚イメージを中心に論じられており、衛星からの画像とコンピュータによる情報処理に着眼しているという点では、Google Earth を予見していたという見方もできる。
「1980年代後半のバブル期に酒場で囁かれていた次世代のパラダイムとは?」
そのひとつが、イメージという社会思想だった。それは国家や民族、あるいは人類が持っている共通概念であり、何かのメッセージを伝えようとする視覚情報のことでもあった。前者が、我々にとっての共同幻想で、後者が記号化・視覚化されたマス・イメージである。
その後、ハイ・イメージ論は拡張されて1990年に『ハイ・イメージ論2』、1994年には『ハイ・イメージ論3』として刊行されている。1990年といえばパソコン通信が普及しはじめ、1994年はインターネットが誕生した年である。マーシャル・マクルーハンが1960年代に予言したとおり、メディアの主流はマスからメッセージ・メディアへと進化し、一方向型から双方向型へと拡張していった。
吉本隆明の言論はこの後も続くが、1996年の海水浴場での溺死寸前の事故以来、エッセイ風の書物が増えていく。また、2008年には「通信・情報の科学技術により、1980年代当時の情況判断はわたしの思考力を超えて劇的に進化した」と述べているように、ハイ・イメージ論で展開しようとした、テクノロジー・文化都市思想と、その後に起こったIT革命との間には乖離があったことを認めている。
世界視線という概念は、Google Earthというインターネット・ツールによっていとも簡単に具象化された。飽和状態だった20世紀型メディアのなかだからこそ、輝いていたともいえる言論の世界は、IT革命によって急激に色褪せてしまった。
ポストモダン以降のパラダイムは、共有するイメージ=集合的無意識ではなく、情報発信・情報交換しあうメッセージ=集合意識へと進化したのである。イメージ論をメッセージ論に置き換えてみれば、今の時代を象徴するものが見えてくるかもしれない。吉本流にいえば、体内のイメージが自己表出とすれば、体外へと発せられるメッセージは指示表出ということになる。
そして、われわれは今、メッセージの時代を生きている。
2012年2月25日土曜日
建築家 村野藤吾と「資本論」について
今から20年くらい前に、村野藤吾氏の生誕100年を記念した映像作品「普請往来 建築家 村野藤吾と自邸」の制作に携わる機会をいただいた。時はバブル崩壊前夜、1990年のことである。この映像制作のために、宝塚市にあった村野邸をロケハン、ロケ、再撮影と3回にわたって訪れることになった。それから5年後の阪神淡路大震災の影響で、この邸宅が全壊してしまう運命にあるとは、もちろん思いもよらずのことだった。
この村野邸、玄関を入るとすぐ右側に茶室、左側には和室があるのだが、我々は村野藤吾氏のご長男、漾さんに案内されて正面の廊下を伝った応接間に通していただいて、そこで打ち合わせするのが決まりだった。
応接間の天井には立派な梁が設えてあり、その梁を支える床柱には、醤油絞り用の角が付いた木が使われていたのを覚えている。しかし最も印象に残っているのは、応接間から廊下を挟んだ場所にあった書斎である。貧弱と思えるほどに薄い天板を、これまた細い脚が支えているだけのごくシンプルな机。庭に植えられた竹林の間からこもれ落ちる陽光の幾筋かがこの机に差している光景に、読書に耽っている生前の村野氏の姿が偲ばれた。

書斎の本棚に飾られていた額には、ドイツ語の表彰状が装幀されており、その表彰状にはハーケンクロイツの紋章と直筆のサインが入っていた。戦前に設計したという「ドイツ文化研究所」の貢献を讃え、アドルフ・ヒトラーから贈られたものだそうだ。そして、数百冊はあろうかという蔵書のなかでも、ひと際目立っていたのが、マルクスの「資本論」だった。ハードカバーから文庫本まで、何度も版を重ねたであろうこの本が、何冊も何冊も大切に保管されていた。
そのうちの文庫本を一冊手に取ってみると、本の余白にはびっしりと数式が万年筆で細かく記されていて、余白が足りないページには紙片を糊で貼り足してまで、そのメモは続いていた。その執念たるや尋常ではない。村野藤吾という国家を代表する大建築家と、あの「資本論」がどのように結びつくのかには、大いに興味をそそられた。NHKから借りた映像のなかに、この書斎でインタビューを受ける村野氏の姿があった。そこで、氏はこう答えている。
「しっかりと、これが“建築”であるということを掴むのには不安があるのです。『資本論』は、物的社会の聖書のようなもので、建築という行為すべての元になっている。それはサイエンスであり科学であると同時に、非常な厳しさを持っている。ですから、それを通して“建築”を眺めていくのです」

戦時中、建築設計の仕事から遠ざかっていた村野氏は「資本論」の研究に没頭したという。戦後の復興期に起こるであろう都市の再開発を見越していたのと同時に、経済システムと建築は切り離せない関係にあると考えていたからではないだろうか。村野氏の「資本論」研究は、建築界が大いに栄えた高度成長期はおろか、バブル経済を向かえていた晩年の時代まで続けられたという。
後に、村野藤吾氏はこう語っている。
「建築は、建ったその瞬間に完成するものではありません。施主、設計者、施工者が三位一体となって建築を創造した後に、居住者がそこに住みついて、それから何年、何十年も時を経て、はじめて本当の建築として完成するのです」
こうした村野氏の建築観は「資本論」をはじめとする経済学を通して培われたといえるのではないだろうか。戦後の思想界に大きな影響を及ぼした吉本隆明氏が、アダム・スミスの「国富論」によって“新たな自我”を確立したように、敗戦というカタストロフを経験した人々の一部にとっては、これら経済学こそ、もっとも信頼できる道標のひとつだったのかもしれない。
現在は、リーマンショック後に起こった世界金融危機の影響もあり、マルクスの「資本論」がふたたび注目されている。「資本主義においては、需要と供給のバランスをとるために恐慌は必ず起こる」という資本論の基本思想は、サブプライムローンに端を発したリーマンブラザースの破綻と、その多大な影響で一気に現実味を帯びた。冷戦という二項対立的なイデオロギー論争の時代は終焉し、第三の角度から「資本論」を見直すべき時代が来ているのだ。

村野氏が没頭した「資本論」の数式化とは、一体何だったのか。
戦後の民主主義国家、日本の建築界を築いていく立場にいた大建築家が、社会主義・共産主義体制を目指したとは到底考えられない。氏にとって「資本論」とは、資本主義を客観的に総括し、その矛盾点を打破するための教科書だったのではないだろうか。そして、その矛盾を解決しようという試みが、あの難解な数式の数々だったに違いない。村野藤吾氏が、戦前から戦後のバブル期にかけてライフワークとしていた「資本論」(資本主義)の再構築は、今の時代だからこそ、我々の叡智を絞って成し遂げられるべきテーマなのではないだろうか。
バブル経済の絶頂期である1990年にプロジェクト化され、バブルが崩壊した1991年に完成した「普請往来 建築家 村野藤吾の自邸」は、20分の映像作品としてまとめられ、同年に開かれた「村野藤吾生誕百年記念祭」にて上映・配布された。この映像作品には、NHKのインタビュー映像をはじめ、資本論に記されたメモの数々、宝塚の自邸や阿倍野にあった仕事場(村野・森建築事務所)の建築映像などが収められている。今となっては貴重な文化的資料といえるのかもしれない。
2012年2月18日土曜日
Olafur Eliasson “Your Rainbow Panorama”

コペンハーゲンに続く第二の都市として知られるオーフス。オーフス湾に面した港湾都市として栄えたこの街に、新しい観光の目玉が誕生した。北欧最大とも言われる現代美術館「アロス・オーフス現代美術館」の屋上に、突如現れた展望空間がそれだ。デンマーク生まれの芸術家、オラファー・エリアソンによるこの巨大なインスタレーションは、観客を異次元の世界へといざなう。光のスペクトルを巨大なガラスケースに閉じ込めた、見るも鮮やかな虹のパノラマだ。
この巨大なインスタレーションが画期的なのは、展望室の内部から眺めた風景と、その人物も含めた外側の風景、この二つが共に鑑賞できるという点だ。内部からの視線はグラデーショナルなパノラマとして、外部からの視線は人形が行き交うショーケースとして、主観(主体)と客観(客体)が同一の造形物のなかで、生きている彫刻のように交錯する。鑑賞する行為そのものが芸術作品であるかのように。





2011年12月3日土曜日
Across The Universe_Music_Clip
NASAが公開したISS(国際宇宙ステーション)から見た地球の動画です。音楽は、ビル・フリーゼルの「アクロス・ザ・ユニバース」をBGMとして使いました。BGMのほうが長くて映像の尺がたりなかったので、後半に自分で撮影した写真と動画を加えてみました。
フル画面でお楽しみください!
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