アンディ・ウォーホルもボブ・ディランも同じ時代にニューヨークを拠点に活動していたが、この二人には接点のようなものは感じられない。ポップアートの騎手と謳われたウォーホルは1964年、ニューヨークに「ファクトリー」を構え、シックスティーズ・カルチャーの中心にいた。一方のボブ・ディランは、フォークソングで一世を風靡したあと、弾き語りからロックへと移行している時期である。
芸術にポピュラリティーを取り入れたウォーホルに対し、反体制的な歌詞をポピュラー音楽で表現したディラン。文章に書くと一見似た者同士のようにも思えるが、二人が表現していた世界観はまったく違う方向を向いていたのだ。
しかし、二人共1950年代から1960年代にかけてのビート・ジェネレーションの影響を強く受けている点は見逃せない。ウォーホルは、ウィリアムズ・S・バロウズ、ディランはジャック・ケルアックのフォロワーといっても過言ではないだろう。
この二人の一見異なる人生をシンクロさせたのが、映画の主人公、イーディ・セジウィックという女性である。元々、牧場主の名家出身という裕福な環境で育ち、アートを学ぶためにニューヨークで暮らし始めた彼女は、社交界でも注目を集めはじめ、ほどなくしてウォーホルと出会う。ウォーホルはイーディの美貌とセンスに惚れ込み、自作の映画に出演させたり、リヴィング・スカルプチュア(生きた彫刻)としていつも自分と一緒に行動させるなどして、彼女を一躍有名にする。
自由奔放に振る舞うイーディの生き方とそのファッション感覚は、ウォーホルにも創造的な刺激を与え、ゴシップを巧みに使ったパブリシティ効果もあって、時代のミューズへと祭り上げられていった。
そんなある日突然出会ったのが、もう一人のスーパースター、ボブ・ディランだった。常に若手アーティストや有名人に囲まれて毎日がパーティのような日々だったウォーホルと異なり、ディランの私生活はしごく孤独なものであり、それは二人が同時代に表現していた世界観の違いそのものだったといえるだろう。イーディは、そんなディランにも惹かれていき、交際へと発展していく。
この映画は、イーディ・セジウィックの28年という短い生涯を描いた映画だが、後半の痛々しい転落人生よりも前半から中盤にかけての生き生きと輝いている彼女が描かれたシーンに最大の見どころがある。
1960年代中頃〜後半にかけてのニューヨークのアートシーンの雰囲気が映画の美術、衣装、メイクを通じて忠実に再現されており、観ているだけでも楽しめる内容となっている。
ウォーホルとイーディのコンビは、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの関係にどこか似ており、同じニューヨークで暮らし始めるジョンとヨーコに少なからず影響を与えたに違いない。
ウォーホルなどのポップアートや1960年代ファッションに興味がある人にはおすすめの映画だ。イーディを演じるシエナ・ミラー、ウォーホルを演じるガイ・ピアースの演技も秀逸で、まったく違和感なくこの時代の空気を味わうことができるだろう。
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