2018年3月5日月曜日

村上春樹氏が住んでいた千駄ヶ谷のマンション -1

2015年12月、それまで住んでいた神宮前の『原宿インペリアルハイツ』から千駄ヶ谷の『外苑パークホームズ』というマンションに引っ越すことが決まり、その契約のために不動産会社でさまざまな手続きを行っているころ、元マンションオーナーからふいに「そういえばこのマンションには、あの村上春樹さんも住んでいたんですよ」と言われた。
たしかに村上春樹氏の初期エッセイには、千駄ヶ谷についての記述がいくつもあったような・・・。
『外苑パークホームズ』が竣工したのは、1979年3月。37戸あるマンションの一室を、作家デビュー直前の村上春樹氏が借りて奥さんと2人で住んでいたという。

村上夫妻は、このマンションに引っ越す前は、すぐとなりにあった『プリンスビラ』という木造2階建てのアパート(現在は建て替えられている)に住んでいたそうだが、『外苑パークホームズ』が新築で建った直後にこちらへ引っ越していると思われる。
村上氏は大学在学中に学生結婚したのち、文京区千石にあった夫人の実家から国分寺に移り住み、1974年にジャズ喫茶『ピーターキャット』を開店。
それから3年後の1977年に『ピーターキャット』を千駄ヶ谷に移転すると同時に、上述の『プリンスビラ』へと引っ越し、さらにその2年後には『外苑パークホームズ』へと移り住んでいる。左の画像は、サマリヤ社が製作した『外苑パークホームズ』分譲時のパンフレット中面見開き。元マンションオーナーからいただいた貴重な資料である。

村上氏が作家デビューするのは、『外苑パークホームズ』の竣工と同じ1979年のこと。ジャズ喫茶『ピーターキャット』の閉店後にお店のテーブルで4カ月かけて書いた処女作『風の歌を聴け』が第22回群像新人文学賞を受賞し、同年7月に講談社から単行本として発売されたのだ。

その後、『中国行きのスロウ・ボート』から始まる短編作品や、2作目の長編『1973年のピンボール』もヒットして作家・村上春樹は売れっ子となり、1981年には専業作家となることを決意して『ピーターキャット』を人に譲り、夫婦ともども千葉の習志野へと移住している。Keep On Movingという言葉は、まるで彼のためにあると思えるような人生である。

右側手前の切妻屋根の住宅が『プリンスビラ』跡地
村上氏にとっての千駄ヶ谷時代は、1977年から1979年にかけてジャズ喫茶『ピーターキャット』を移転させて軌道に乗せるまでと、1979年から1981年にかけての作家とジャズ喫茶経営を兼業していた2つの時期に分かれており、前者を“プリンスビラ期”、後者は“外苑パークホームズ期”と呼んで差し支えないだろう。

左の写真は、外苑パークホームズのベランダから見える現在の風景。南に面したテラスからの見晴らしは良く、近くに高い建物もないので陽当りは良好だ。村上氏も、この景色を眺めながら小説を書いていたに違いない。

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