たしかに村上春樹氏の初期エッセイには、千駄ヶ谷についての記述がいくつもあったような・・・。
『外苑パークホームズ』が竣工したのは、1979年3月。37戸あるマンションの一室を、作家デビュー直前の村上春樹氏が借りて奥さんと2人で住んでいたという。
村上夫妻は、このマンションに引っ越す前は、すぐとなりにあった『プリンスビラ』という木造2階建てのアパート(現在は建て替えられている)に住んでいたそうだが、『外苑パークホームズ』が新築で建った直後にこちらへ引っ越していると思われる。
村上氏は大学在学中に学生結婚したのち、文京区千石にあった夫人の実家から国分寺に移り住み、1974年にジャズ喫茶『ピーターキャット』を開店。
それから3年後の1977年に『ピーターキャット』を千駄ヶ谷に移転すると同時に、上述の『プリンスビラ』へと引っ越し、さらにその2年後には『外苑パークホームズ』へと移り住んでいる。左の画像は、サマリヤ社が製作した『外苑パークホームズ』分譲時のパンフレット中面見開き。元マンションオーナーからいただいた貴重な資料である。
村上氏が作家デビューするのは、『外苑パークホームズ』の竣工と同じ1979年のこと。ジャズ喫茶『ピーターキャット』の閉店後にお店のテーブルで4カ月かけて書いた処女作『風の歌を聴け』が第22回群像新人文学賞を受賞し、同年7月に講談社から単行本として発売されたのだ。
その後、『中国行きのスロウ・ボート』から始まる短編作品や、2作目の長編『1973年のピンボール』もヒットして作家・村上春樹は売れっ子となり、1981年には専業作家となることを決意して『ピーターキャット』を人に譲り、夫婦ともども千葉の習志野へと移住している。Keep On Movingという言葉は、まるで彼のためにあると思えるような人生である。
右側手前の切妻屋根の住宅が『プリンスビラ』跡地 |
左の写真は、外苑パークホームズのベランダから見える現在の風景。南に面したテラスからの見晴らしは良く、近くに高い建物もないので陽当りは良好だ。村上氏も、この景色を眺めながら小説を書いていたに違いない。
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