村上春樹氏が住んでいたマンションについての続きを書いてみようと思う。
前回の記事では、村上氏の千駄ヶ谷時代を前期と後期に分けて、当時住んでいたと思われるアパートとマンションで住み分けをしたのだが、さらに資料を調べていくと、村上氏は1981年に千駄ヶ谷から千葉の習志野へと引っ越したあと、1984年に神奈川の鵠沼へと移り、さらに1985年にはふたたびこの千駄ヶ谷へと戻ってきていたことがわかった。
前回の記事で村上氏の千駄ヶ谷時代を1977年〜1979年の『プリンスビラ』在住期と1979年〜1981年『外苑パークホームズ』在住期に分けた根拠は、2017年11月に惜しくも閉店してしまった村上春樹氏ゆかりの書店『ブックハウスゆう』店内に展示されていたカーテンのキャプションにある。
『ブックハウスゆう』には、ある記事を書くために取材で訪れたのだが、それから数日後にふたたび行ってみると、なんとその日が最終日だったという奇遇も重なった。
このキャプションには、「村上氏は千駄ヶ谷で最初『プリンスビラ』に住んだ後、隣のマンションへ転居しました。このカーテンは、そのマンションにかけらていたものです」とある。
『ブックハウスゆう』には、ある記事を書くために取材で訪れたのだが、それから数日後にふたたび行ってみると、なんとその日が最終日だったという奇遇も重なった。
このキャプションには、「村上氏は千駄ヶ谷で最初『プリンスビラ』に住んだ後、隣のマンションへ転居しました。このカーテンは、そのマンションにかけらていたものです」とある。
仮に『プリンスビラ』に4年住み、習志野に3年、鵠沼に1年住んだ後で『外苑パークホームズ』に引っ越してきたのなら「村上氏は千駄ヶ谷を出て4年間別の場所に住んだ後、かつて住んでいた『プリンスビラ』隣のマンションへと戻ってきました〜」と書くはず。これが、1977年〜1981年の千駄ヶ谷在住期を前期と後期に分けた理由だ。
1985年にふたたび千駄ヶ谷に戻ってきた村上氏だが、もう一度『外苑パークホームズ』に住んだかどうかは定かではない。これについては引き続き調べてみるつもりだ。話がややこしくなるが、村上氏の千駄ヶ谷時代は、1977年〜1981年が第1期、1985年〜1986年が第2期ということになる。
さて、村上氏が『外苑パークホームズ』に住んでいたころを偲ぶ貴重な資料が手元にあるので、ここに掲載する。『外苑パークホームズ』分譲時のパンフレット(サマリヤ社)である。
3LDKに約70㎡の広さをもつCタイプの間取りが予想図として描かれており、
村上氏が住んでいた部屋の間取りとほぼ同じものであると推測できる。
このマンションに現在もある一室の窓のどこかに、先ほどの花柄のカーテンがかけられていたのだろう。
左の資料は、外苑パークホームズのエントランスホールの完成予想図である。竹中工務店によってほぼこのパース図どおりに施工され、現在も形を変えずに当時のままの姿で残っている。
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