ジョージ・ハリスンがミュージシャンとして最高に輝いていたのは、ビートルズ後期の1968年から解散後の1971年頃にかけての3年間ではないだろうか。
1973年の「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」、1979年の「慈愛の輝き」、1987年の「クラウドナイン」も良いアルバムだが、1968年から1971年の3年間にジョージが発表した珠玉の作品の数々の前では、どうしても色褪せてしまうのである。あの頃の作品は群を抜いて素晴らしく、バングラディシュのコンサートのジョージにいたっては、神がかってさえ見えてしまうのだ。
ビートルズ時代に書きためていた曲を集めて一気に発表した大作「オール・シングス・マスト・パス」を引っさげて、ロック史上初の大がかりなチャリティ・コンサート「バングラディシュのコンサート」を成功させ、音楽的にもビートルズから一皮むけた大人っぽいサウンドをジョージは作り上げている。
これらはプロデューサーのフィル・スペクターの力も大きいが、そのスペクターを起用したジョージの審美眼なくしては生まれなかったもので、あのウォール・サウンドやスワンプ・ロック的なアメリカ南部の香りも含めて、アルバムはジョージのイメージ通りに編みあげられていったと考えるのが妥当ではないだろうか。
解散後、もっともビートルズに貢献した男は、ジョージ・ハリスンではないかと最近思うのである。まるで悟りを開いたかのような「バングラディシュのコンサート」のジョージの姿は興味深い。ショービジネスの世界で、ソロとして成し得た大きな成功の最中を思えば、もっと浮かれていてもいいはずである。しかし、ここでのジョージはあくまでも静かだ。
ビートルズというカブトを脱いだ、裸のジョン・レノンが「ジョンの魂」を、ソロアーティストとして、ごく私的な音世界に耽っていたポール・マッカートニーが「マッカートニー」を各々発表するものの十分な評価を得られないなか、ジョージはビートルズ時代には成し得なかった成功をいち早く勝ち取っている。
「オール・シングス・マスト・パス」には、ビートルズの影を微塵も感じさせない音世界が構築されていて、その音楽は金字塔という言葉にふさわしい至高の輝きにあふれている。ビートルズのわかりやすさに対して、いわば、通好みといってもよいサウンドだが、決して難解ではない。
元ビートルズの、ジョンでもポールでもなく、静かなる男ジョージがこのような音世界を作り上げたからこそ、ビートルズは時代からとり残されることなく、むしろ深みを増して再評価されたのではないだろうか・・・最近、そんな気がしてならない。
0 件のコメント:
コメントを投稿