現在のように、不況、震災、原発事故といった社会不安のない時代である。当時、我々のいた広告業界では、経済やマーケティング分野よりも、現代思想や哲学の本をまずは読むべしという風潮があった。そうでなくとも、本棚のなかにある村上龍のとなりには中沢新一、山田詠美のとなりには上野千鶴子の本を並べておこうという、同時代的な感覚があったと思う。
バブル景気のこの時代、アウトドア派は外車や高級車に乗って郊外へと出かけ、インドア派はカウチに座ってポテトチップスを食べながら、読書や映画鑑賞するのが流行りだった。デスクトップにはパソコンよりもワープロがまだ主流の頃である。
そんな時代に入っても、戦後の思想界をリードしてきた全共闘世代のカリスマ、吉本隆明は強い影響力を持っていた。バブル時代の申し子だった村上龍や坂本龍一と交流があったのも大きかったかもしれない。
当時、ニュー・アカデミズムと呼ばれていたポスト構造主義側の学者や文化人たちは、戦後の日本が果たしてきた経済発展をこれから担うものは、ディコンストラクション=脱構築から生まれると信じてやまなかった。
この時期に吉本隆明は、自著の『ハイ・イメージ論』のなかで「世界視線」という新しい視覚イメージについて論じている。世界視線とは、地上や地形を俯瞰して眺めている、1.臨死状態からの視線であり、2.ランドサット(衛星)からの視線であり、3.コンピュータ・グラフィックスによる過視的な視線を指していた。
それらはあくまで人間(脳)もしくは人工的な視覚イメージを中心に論じられており、衛星からの画像とコンピュータによる情報処理に着眼しているという点では、Google Earth を予見していたという見方もできる。
「1980年代後半のバブル期に酒場で囁かれていた次世代のパラダイムとは?」
そのひとつが、イメージという社会思想だった。それは国家や民族、あるいは人類が持っている共通概念であり、何かのメッセージを伝えようとする視覚情報のことでもあった。前者が、我々にとっての共同幻想で、後者が記号化・視覚化されたマス・イメージである。
その後、ハイ・イメージ論は拡張されて1990年に『ハイ・イメージ論2』、1994年には『ハイ・イメージ論3』として刊行されている。1990年といえばパソコン通信が普及しはじめ、1994年はインターネットが誕生した年である。マーシャル・マクルーハンが1960年代に予言したとおり、メディアの主流はマスからメッセージ・メディアへと進化し、一方向型から双方向型へと拡張していった。
吉本隆明の言論はこの後も続くが、1996年の海水浴場での溺死寸前の事故以来、エッセイ風の書物が増えていく。また、2008年には「通信・情報の科学技術により、1980年代当時の情況判断はわたしの思考力を超えて劇的に進化した」と述べているように、ハイ・イメージ論で展開しようとした、テクノロジー・文化都市思想と、その後に起こったIT革命との間には乖離があったことを認めている。
世界視線という概念は、Google Earthというインターネット・ツールによっていとも簡単に具象化された。飽和状態だった20世紀型メディアのなかだからこそ、輝いていたともいえる言論の世界は、IT革命によって急激に色褪せてしまった。
ポストモダン以降のパラダイムは、共有するイメージ=集合的無意識ではなく、情報発信・情報交換しあうメッセージ=集合意識へと進化したのである。イメージ論をメッセージ論に置き換えてみれば、今の時代を象徴するものが見えてくるかもしれない。吉本流にいえば、体内のイメージが自己表出とすれば、体外へと発せられるメッセージは指示表出ということになる。
そして、われわれは今、メッセージの時代を生きている。
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